誰もが薄々、そんなふうに感じていたのではないか。
しかし、このもやもやした状況、このもやもやした思いを、3.11は第二の敗戦だと認めることで、新たな出発点に立つことができる。
66年前の敗戦は、国破れて山河在り、だった。
第二の敗戦は、山河破れて国在り、だと五木さんは言う。
国破れて山河在り、は杜甫の詩「春望」の冒頭の句で、次のように続く。
国破れて山河在り 城春にして草木深し
時に感じては花にも涙を濺(そそ)ぎ 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす
烽火三月に連なり 家書萬金に抵(あた)る
白頭掻かけば更に短く 渾(す)べて簪(しん)に勝(た)えざらんと欲す
この詩は757年、戦乱によって荒れ果ててしまった唐の都・長安で杜甫が詠んだ詩で、冒頭の句は、「国は滅亡しても、山河だけは昔のままだ」と説明される。
城内は春になって草木が茂り人影すら見えない。花を見ては涙が流れ、別れた家族との悲しみで鳥の声にも心が痛む。戦乱は3ヵ月にもなり、家族からの手紙は届かないので万金に値する。白髪頭は心労のために薄くなっていてかんざしも挿せなくなった。
敗戦後の日本は、国破れて山河あり・・・国は戦乱で荒廃したが、それでも美しい日本の山河と自然は残っていて、衣食は足りなくても未来への希望が残っていた。
しかし第二の敗戦は、国だけが残って、美しい日本の山河と自然は見えない放射能によって破壊されてしまった。
つまり、山河破れて国在り。
見た目には美しく見える山河なのに、草を食む牛、泳ぐ魚たちの中に影を落とす荒廃・・・
第一の敗戦では明日への希望が見えたが、第二の敗戦には明日が見えない・・・とも五木さんは語っている。
66年前の今日、日本は人間が造り出した悪魔の初めての惨禍を受けた。
その悪魔は瞬く間に世界を支配し、人々は逆に悪魔の手を借りて自らの命を守ろうとした。悪魔に対抗するためには、悪魔を手に入れることが最善だと考えた。
日本も戦前から悪魔を造り出す研究を続けていた。悪魔の惨禍を受けた時、日本がアメリカよりも先に悪魔を造り出せていたら・・・と悔しがった人もいた。
戦後の日本は人を滅ぼすための悪魔を持たず、その代わりに悪魔を飼い馴らして従僕にしようとした。日本はそうした悪魔飼いの範たらんとした。
そして、飼い馴らしたはずの悪魔は牙を剥いた。悪魔は所詮、悪魔でしかなかった。
いや、本当の悪魔は核ではなく、人間の心の中に棲んでいるのではないか。
かつて国力の維持・増強のため、アジアに侵出していった政治家と資本家たち。列強に伍して日本が世界の中で生き残るためには必要だと言って、軍事力を背景に日本を破滅へと導いていった。
3.11の後、私たちはまったく同じ言葉を聞いていないか? 軍事力が原子力に置き換えられているだけで、政治家や経済人が同じ言葉を語っていないか?
私たちは戦前と同じように、彼らの言葉に騙されようとしているのではないか?
どのような時でも、人間は大なり小なり利己的にしか考えられない。
しかし困難に際して、最も利己的な人間が政治や経済のリーダーである時、大きな落胆と深い絶望を感じざるを得ない。
がんばろう日本。
その言葉を聞くたびに、戦前のスローガンが頭を過ぎる。
一億一心。ほしがりません勝つまでは。
終戦から66年目の夏に、第一の敗戦に立ち戻る。
戦前・戦中の世代が何を思い、何を省みたのか。 終戦前後に生まれた世代が、何を感じて育ってきたのか。
戦前・戦中の世代は、何を残し、何を残せなかったのか。何を伝え、何を伝えられなかったのか。
終戦前後に生まれた世代は、何を学び、何を学ばなかったのか。そして、何を置き忘れてきたのか。
今朝の日経新聞の文化欄では、作家の野坂昭如さんが、震災と原発事故の被災者は、テレビで眺める対象でしかないと書いている。
戦後66年は砂上の楼閣だったとも書いている。平和を唱えていれば生きていける時代だとも書いている。
いつしか、66年前の8月に与えられた宿題を放り出してしまっていた。
楽しい日々に、放り出した宿題のことを忘れてしまっていた。
第二の敗戦で新しい宿題が与えられて、忘れていた66年前の宿題のことを思い出す。
今年の夏こそ宿題を片付けなければならない。
そうしなければ、再び宿題は置き去りにされてしまうから。